2016年4月26日火曜日

◆信用


鎌田紘子

誤解のないように最初に宣言しておく、信用は大事である。その上で続きを読んでほしい。信用は築くものだという。約束を守る、誠実な行動をする、という積み重ねで大きくなる。そういうことができない人間は信用を得られない。
 
またある程度、信用を築いても、何か失態をしでかすと信用は失われる。信用には面白い特徴があって、ある程度築いた後で、それが損なわれた場合、原点の0に戻るのではなく、―100くらいになる。従って限られた共同体の中で失った信用を回復するのは非常に難しい。信用を失った状態は「信用できない人間だ」という信用を築いた状態に等しい。別の共同体に移り再起する方が簡単である。
 
信用というのは、人の性質や言動、個別の事案の正否の判断をショートカットするレッテルともいえる。「あいつの言うことは信用できる」あるいは「信用できない」というのは、過去の与信の状態がどのレベルにあるか、ということにすぎない。
 
しかし信用と「言うことがどうなるか」は別の話である。狼少年の話をみんなは知っているだろう。子供の理解は、正直に生きなければ信用を得られない、で良いが大人はそれだけの理解では不足だろう。あの童話の本質は「信用と事実は別であるケースもある」ということだ。
 
嘘つき少年は信用できない、ということを信用した結果、町の人間は狼の襲来を許してしまったといえる。あるいは正直な少年であっても、間違えることはあるだろう。
 
この話で思うのは、最適解として信用の有無に関係なく、万一、それが実現したときに致命傷になることならば、100回のうち100回が杞憂に終わっても対策を講じる必要があるということだ。それは目先、相手を信用しない、ともいえる。
 
そう考えると、自分の人生の手綱は自分が握っていなければならない。小事なら構わないが、大事あるいは致命傷になるような判断は、相手の信用の有無、大小だけで判断しないようにしたい。否、しても良いが何がどうなっても「信用した自分の責任も大いにある」ことは肝に銘じて信用することだ。
 
有事の際に「信じていたのに」なんて泣き言をいう人は軽々しく信用なんて言葉を使うものではない、とも思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿