2016年4月29日金曜日
2016年4月28日木曜日
2016年4月27日水曜日
◆日本語と二人称
◆日本語と二人称
Facebookを使う人にとってこの考え方は違和感があると思うが、日本は本来、名前を呼び合うのは無礼とされていた。日本語には「あなた、きみ、そなた、おまえ」という言葉がある。これらも語源的にいえば「あちらにいる方、たいせつな方、そっちの方にいるひと、目の前にいるひと」というべき言葉で、英語でいうYOUのように、それ自体が二人称の代名詞として存在していたわけではない。
日本では古来、名前にはその人の魂が宿っていると考えられていた。それゆえに名前を安易に口にするのは、相手の生命を脅かすものだとさえ思われていた。千と千尋の神隠し、を見たひとはわかるだろう。
本名というのはそれほど大事なもので、そうやすやすと人から呼ばれては困るものだった。だからみんな相手の本名などは知っていても言わないのが礼儀。したがって相手を呼ぶ方法が本来なく、仕方がないので「あっちの方のひと」「前にいるひと」という言い方でぼかして二人称的に用いられてきたのだ。
ところがそういう言い方も、だんだん直に「相手」を指す言葉だというふうに固定してくると、それもまた使いにくくなる。直接ずばり「あなたはこれ食べますか」みたいな言い方をすると、何となく相手に対して失礼な感じがしないだろうか。
今でも親や祖父母、先生、長上に対して「あなたはこれ食べますか」みたいな聞き方はとんでもない無礼だということになる。日本語はこうした無礼を廃するために敬語が発達し、主語の省略がひろくつかわれるようになった。この場合は、「これを召し上がりますか」と言えば良いことになっている。
広告の手法で「あなた」と呼びかけるものがあり効果もある。けれど何となく多用するといやな感じがするのは、私たちがまだネイティブの日本人としての言葉と心を無意識下でも受け継いでいるからだと思う。
Facebookを使う人にとってこの考え方は違和感があると思うが、日本は本来、名前を呼び合うのは無礼とされていた。日本語には「あなた、きみ、そなた、おまえ」という言葉がある。これらも語源的にいえば「あちらにいる方、たいせつな方、そっちの方にいるひと、目の前にいるひと」というべき言葉で、英語でいうYOUのように、それ自体が二人称の代名詞として存在していたわけではない。
日本では古来、名前にはその人の魂が宿っていると考えられていた。それゆえに名前を安易に口にするのは、相手の生命を脅かすものだとさえ思われていた。千と千尋の神隠し、を見たひとはわかるだろう。
本名というのはそれほど大事なもので、そうやすやすと人から呼ばれては困るものだった。だからみんな相手の本名などは知っていても言わないのが礼儀。したがって相手を呼ぶ方法が本来なく、仕方がないので「あっちの方のひと」「前にいるひと」という言い方でぼかして二人称的に用いられてきたのだ。
ところがそういう言い方も、だんだん直に「相手」を指す言葉だというふうに固定してくると、それもまた使いにくくなる。直接ずばり「あなたはこれ食べますか」みたいな言い方をすると、何となく相手に対して失礼な感じがしないだろうか。
今でも親や祖父母、先生、長上に対して「あなたはこれ食べますか」みたいな聞き方はとんでもない無礼だということになる。日本語はこうした無礼を廃するために敬語が発達し、主語の省略がひろくつかわれるようになった。この場合は、「これを召し上がりますか」と言えば良いことになっている。
広告の手法で「あなた」と呼びかけるものがあり効果もある。けれど何となく多用するといやな感じがするのは、私たちがまだネイティブの日本人としての言葉と心を無意識下でも受け継いでいるからだと思う。
( °◡°)
2016年4月26日火曜日
◆信用
誤解のないように最初に宣言しておく、信用は大事である。その上で続きを読んでほしい。信用は築くものだという。約束を守る、誠実な行動をする、という積み重ねで大きくなる。そういうことができない人間は信用を得られない。
またある程度、信用を築いても、何か失態をしでかすと信用は失われる。信用には面白い特徴があって、ある程度築いた後で、それが損なわれた場合、原点の0に戻るのではなく、―100くらいになる。従って限られた共同体の中で失った信用を回復するのは非常に難しい。信用を失った状態は「信用できない人間だ」という信用を築いた状態に等しい。別の共同体に移り再起する方が簡単である。
信用というのは、人の性質や言動、個別の事案の正否の判断をショートカットするレッテルともいえる。「あいつの言うことは信用できる」あるいは「信用できない」というのは、過去の与信の状態がどのレベルにあるか、ということにすぎない。
しかし信用と「言うことがどうなるか」は別の話である。狼少年の話をみんなは知っているだろう。子供の理解は、正直に生きなければ信用を得られない、で良いが大人はそれだけの理解では不足だろう。あの童話の本質は「信用と事実は別であるケースもある」ということだ。
嘘つき少年は信用できない、ということを信用した結果、町の人間は狼の襲来を許してしまったといえる。あるいは正直な少年であっても、間違えることはあるだろう。
この話で思うのは、最適解として信用の有無に関係なく、万一、それが実現したときに致命傷になることならば、100回のうち100回が杞憂に終わっても対策を講じる必要があるということだ。それは目先、相手を信用しない、ともいえる。
そう考えると、自分の人生の手綱は自分が握っていなければならない。小事なら構わないが、大事あるいは致命傷になるような判断は、相手の信用の有無、大小だけで判断しないようにしたい。否、しても良いが何がどうなっても「信用した自分の責任も大いにある」ことは肝に銘じて信用することだ。
有事の際に「信じていたのに」なんて泣き言をいう人は軽々しく信用なんて言葉を使うものではない、とも思う。
2016年4月25日月曜日
OneDriveのURL
2016年4月24日日曜日
風鈴というものは腐らない_衛藤美彩
2016年4月23日土曜日
2016年4月22日金曜日
アップロードとピンの違い
この国から出て行くより他ないと思う
2016年4月21日木曜日
T_M 森下千里
2016年4月20日水曜日
森下千里ちゃん(*˘︶˘*).。.:*♡
Tisato_Morishita
もう日本どうなってるの・・・
夏菜 04/20
H_K 川口春奈
2016年4月19日火曜日
ブルーシート
震災報道で人命救助の時ブルーシート使ってるのって報道側に取られないようにするためですよね、人の命かかってるのに視聴率のために作業効率下げさせてるってどんな気持ちで撮影してんだろ。人の生存率下がる位だったら、視聴者だって見たいとは思わないよね。
2016年4月18日月曜日
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人を分類
地震は、まずは屋外避難が基本
政府が熊本地震を受けて15日に「全避難者の屋内避難」の方針を打ち出したことに対し、熊本県の蒲島郁夫知事が「現場の気持ちが分かっていない」と反発した。熊本県庁であった松本文明副内閣相との会談で述べた。
地震が発生した14日夜に益城町や熊本市の中心部で屋外避難をする人が目立ったことを受け、政府は屋内に避難させるよう自治体に求める方針を決めた。
松本副内閣相によると、「河野(太郎)防災担当相に『今日中に青空避難所というのは解消してくれ』と強く言われて参った」と力説したところ、知事は「避難所が足りなくてみなさんがあそこに出たわけではない。余震が怖くて部屋の中にいられないから出たんだ。現場の気持ちが分かっていない」と不快感を示したという。【中里顕、原田悠自】
一息 鎌田紘子
保存について
2016年4月17日日曜日
この国から出て行くより他ないと思うよ。
払い戻し
2016年4月16日土曜日
そりゃもうこの国から出て行くより他ないと思うよ。
「寮費と学食を無料」にするだけで
2016年4月15日金曜日
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